日本スリッター工業株式会社のホームページにお越しいただきまして、誠にありがとうございます。
当社は、昭和34年の創業より、日本初のスリット加工委託業者として、また「一巻入魂」の精神をモットーとして、時代の変遷と共に多様化するお客様のニーズに応え、製造・生産現場をはじめとした各分野へよりよい製品、技術、サービスをご提供することで、社会へ貢献してまいりました。
おかげさまで当社のスリット加工製品は、各産業において高性能、安定品質の評価をいただいており、また広くエンドユーザーの方にもご愛用いただき、スリット加工業においてトップメーカーの立場を確立することができました。
当社はこれからも、時代の流れを的確に捉え、技術の研鑽、高品質のサービス、より高いレベルの提案にて、皆様のご要望に積極的にお応えする企業として、社員一同邁進していく所存でございます。
今後とも、日本スリッター工業をよろしくお願いいたします。
会社名 | 日本スリッター工業株式会社 |
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所在地 | ●本社/高槻工場 〒569-0031 大阪府高槻市大冠町1-16-5 >>アクセスマップ TEL:072-670-1111 FAX:072-675-0022 ●長浜工場 〒526-0023 滋賀県長浜市三ツ矢町5-8 >>Googleマップ TEL:0749-63-7091 FAX:0749-64-2041 |
創業 | 昭和34年7月 |
資本金 | 1,000万円 |
役員 | 代表取締役 高橋 秀太 取締役会長 高橋 一太 他取締役:4名 |
従業員 | 約80名 |
取引銀行 | 三菱東京UFJ銀行 / 京都銀行 / 近畿大阪銀行 / 京都中央信用金庫 | |||
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加工内容 | 合成樹脂フィルム、シート、ラミネート、不織布、布、和洋紙、 粘着シート等の巻き取りスリット加工をはじめとした総合加工業 |
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加工用途 | 医薬品包材(PTP) 衛生材料(傷絆創膏テープ、紙おむつ、パップ基布) 食品包材(ポーション、自立パック) 電材(キャリア&カバーテープ、フロッピージャケット、フィルム基盤) 建材(木目調ラッピングシート、木口材、ジョイントカットテープ、コーナーテープ) 他、車両内装シート、カーペット、フィルター、印刷用、製版用、蒸着用、プリンターインクリボンなど |
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設備概要 | 1,600mm幅機 | 1,100mm幅機 | 小幅機・検反機 | |
高槻工場 | 9台 | 8台 | 10台 | |
長浜工場 | 5台 | 1台 | 5台 | |
加工能力 | 1.原反最大幅 1,600mm 最大径 Φ1,500mm 最大重量 700kg 2.スリット最小幅 2mm 増幅単位 0.05mm 幅精度 ±0.1mm 3.巻き取り最大径 1,170mm 紙管径 Φ8〜300mm 4.微粘着ローラーによる付着異物の除去 5.EPC装置、透視検品装置、シュリンク包装機、他 |
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協力会社 | 1.4,800mm幅までの不織布のスリット 2.1,300mm幅までの枚葉断裁加工 3.2,300mm幅までの突切り加工 4.トムソン加工 5.ウェルダー加工、高周波粘着加工 6.針穴あけ加工 7.コロナ処理加工、プラズマ処理加工 8.ヒートカット加工、レーザーカット加工 9.アニール(加熱)処理巻き取り 10.マスキング、両面テープ貼り付け加工 11.内職 他 |
株式会社アテクト | 泉株式会社 | 大倉工業株式会社 |
オザックス株式会社 | カルプ工業株式会社 | 小池イマテクス株式会社 |
ザ・パック株式会社 | 三晶株式会社 | 三正通商株式会社 |
シーアイ化成株式会社 | シーダム株式会社 | ジャパンゴアテックス株式会社 |
住友商事株式会社 | 住友化学工業株式会社 | 住友ベークライト株式会社 |
DIC株式会社 | デュポン株式会社 | 電気化学工業株式会社 |
東洋紡スペシャルティズ トレーディング株式会社 |
東洋紡績株式会社 | 東レ株式会社 |
株式会社トッパンコスモ | 日昌株式会社 | 日東電工株式会社 |
ニッポー株式会社 | 日本紙パルプ商事株式会社 | P&G |
藤森工業株式会社 | 三菱樹脂株式会社 | 山富商事株式会社 |
ユニチカ株式会社 | 他、400社以上 |
(50音順・敬称略)
昭和34年(1959年)7月 | 京都市内にて朋睦スリッター加工所創立 |
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昭和37年(1962年)1月 | 日本スリッター工業株式会社に社名変更 業務拡大のため高槻工場設立 |
昭和48年(1973年)1月 | 業務拡大のため米原工場設立 |
昭和50年(1975年)7月 | 業務拡大のため米原工場を長浜工場に移転 |
昭和59年(1984年)6月 | 本社工場を京都工場から高槻工場に移転 |
昭和63年(1988年)4月 | 業務拡大のため東大阪工場設立 |
平成9年(1997年)7月 | 東大阪市総合開発のため東大阪工場を閉鎖し高槻工場に集約 |
平成11年(1999年)1月 | 業務拡大のため高槻工場を現在地(大冠町)に移転 |
平成11年(1999年)10月 | 取締役会長に高橋一太、代表取締役に高橋秀太が就任 |
平成19年(2007年)3月 | 経済産業省のものづくり日本大賞に高槻市の推薦により応募 |
平成19年(2007年)5月 | 中小企業庁の経営革新計画の申請・承認 |
当社は、現会長・高橋一太(以下、高橋)によって昭和34年(1959年)に興りました。
元々、生菓子製造販売を営んでいた高橋は、昭和34年3月に滋賀県のあるバス亭の前を通りかかりました。そのバス停にはバス待ちをしている人が大勢いらっしゃいました。そんな状況を見た会長は、何を思ったのか車を止め、「京都まで行きますが、誰か乗られますか?」と声をかけたのです。
いきなりのことで戸惑うバス待ちの人々の中で、1人の紳士が「では、お願いします。」と乗車されました。この紳士と道中の会話は以下のような内容です。
「今、西ドイツでスリット機(ロール巻取裁断機)が大ブーム。布でも紙でも、全部正確に早く大量生産できる。日本でも早く機械を作って産業界を発展させ、日本のすべての資材の一大改革を起こしたい。」
数日後、紳士の元を訪ねると、それは株式会社西村製作所という会社でした。この会社の西村社長と前述の紳士である遠藤技術部長と3人でスリット機についてあれこれ話すうちに、彼らの熱意に感動。生菓子製造販売の今後に限界を感じていたこともあり、スリット加工の会社を興すことを即決しました。
こうして、この年の7月、待望のスリット機を開発し「日本スリッター工業株式会社」の前身である「朋睦スリッター」を設立。シートメーカー、機械メーカー、スリット技術などすべてが未熟で、失敗を繰り返しながら、ノウハウを蓄積していきました。
昭和37年(1962年1月)に高槻市に新しく工場を設立し、社名を「日本スリッター工業株式会社」に変更しました。2年後、ラミネートフィルムを中心に事業拡大を押し進め、スリッター機も20台に増設。昭和40年(1965年)に入ると、業界関連の経営者や技術者の工場見学が相次ぎました。アメリカ、旧ソ連、フィリピン、タイ、シンガポール、台湾、韓国など、海外からも多くの見学者が訪れました。
設立から苦楽を共にしてきた従業員も、技術、ノウハウなどを蓄積し、独立をする者も多く現れました。名古屋に3社、岐阜に2社、滋賀に3社、京都8社と、業界の発展と社会貢献を固く誓ったこれらの企業が、現在も事業に励んでいることは、当社としても誇れることです。
昭和50年(1975年)からは、ポリエステルフィルムや硬質塩ビシートなど、特に医薬品用PTP、一般成型用のブリスターパックの塩ビが急成長し、塩ビだけでも1,500t/月の生産をこなせるようになりました。
昭和60年(1985年)からは、キャリアテープやTABテープ、液晶関連、カーボンラッピングテープなどにより高精度・高品質が求められるように。新しくアクリルシート、フッ素フィルム、ポリカーボネート、ポリイミドフォルムなど高価で高品質、高付加価値の製品も増えはじめました。
これらの新しいお客様のニーズ、新しい製品にも対応し、常にスリット加工の最前線を走る企業として、これからも「一巻入魂」の精神で企業努力を続けてまいります。